2002年3月にCCCDが導入されてから「CCCDだけは買うまい」と心に決めてから2年半…。 avexとソニーがようやくコピーコントロールCDからの撤退を表明。 消費者にできるささやかな抵抗である「不買」もようやく終わりが近づいてきました。
「Compact Disc」のロゴすらつけられないまがい物の銀色円盤。 しかも再生できる保障もなく、装置にダメージを与える可能性すらあり、 コピーしようと思えば簡単にできてしまうという本末転倒ぶり。 正規に料金を払ったユーザだけが一方的に損をするというバカバカしさ。 こんなまがい物に同じ料金を払うってのは納得が出来ません。
しかしCDが売れなくなったらコピーのせいにしてCCCDを導入して、 やっぱりそれでも売上は回復するどころかどんどん落ちてきて、 で今度はiPodが売れてきたら、ネットでのダウンロードに客を奪われかねない、 とわかった途端にCCCDを撤退って…。 ちょっと消費者舐めすぎですよね。
というわけで、CCCDじゃなかったら恐らく購入していたであろうCDのリストです。 個人的には、やはりavexもそうですけど、ソニーがアルバムを全面的にLGCD2にしてしまったのが痛かった…。
CCCDは失敗だった、と事実上認めたんですから、今までのCCCDをCD-DAで出しなおしてくれてもいいと思うんですけどね。 D-LOOPのアルバムなんて、6年も待ったんですよ!! 6年も待たされた挙句にCCCDでリリースって…。 でもそれをやった日には、CCCDを買わされた消費者には、 当然無料でCD-DA盤と交換するくらいのことはしなくちゃなりませんから、 そこまでのコストはかけないでしょうね。
音楽CDに関しては一応「消費者側の勝利」とも言える結論に落ち着きましたが、 今のままだとデジタル放送に切り替わった瞬間に、日本の放送メディアは間違いなく死にますね。 果たして、今回の一件から、コンテンツ業界は何かを学び取ることはできるのでしょうか?
コピーコントロールCDがいい例で、筆者はいくらこれをやったからといって、CDの売り上げが復活するとは全然思っていない。筆者もこうしてモノを書いて暮らしているので、一応コンテンツクリエイターの端くれだが、あのやり方は「トイレの水を無駄に流すから、川をせき止めちゃいました」というのに匹敵するほど、近来希に見る愚策だと思っている。
厳しすぎるコンテンツ保護の方法が、コンシューマーが楽しめないような状況を作り出しているとするならば、彼らには『何も買わない』という選択が有り得るという点を指摘しておきます。われわれメーカーもコンシューマーの期待に添うよう努力するという共通の目標を持つことで、業界が一丸となれるのです。これは同時に、政府や法に依存しなくてもいいということを意味しています
レコード業界的には、CCCDをやめたくてやめたくて仕方がないという雰囲気になっているんだと思いますよ。売り上げは伸びないし、ライセンス料も払わないといけない。イイコトなんてないですよ。本当に。それなのに、消費者の反感買っちゃってますから。
コピーワンスというDRM技術は、あまりにもコンテンツホルダーよりで過去の遺物。ユーザー=悪人視は絶対におかしいということは、CCCDの失敗でも証明されている。ハイビジョン文化を健全に発展させるためには、ユーザーを大事にするDRMを作ることが必要
ただし、実際にガード機能の付いたCDを視聴してみた結果、我々制作スタッフが日夜努力して目指している「最高の音質を提供すること」に対して、このガード・システムが多少のマイナス影響を及ぼしているように感じました。今回発売されるヒカルのCD(single/album)には「コピー・ガード」は付いていません。違法な行為を容認しているのではなく、あくまでも、この時点での我々の判断として、現在使用できるガード・システムが未だ音楽的な使用に適していないと判断したからです。
ホームネットワーク機能は、ハイエンドモデルが購入できるリッチなユーザーだけが必要な機能ではない。今やDVDへの書き出しが当たり前のように、LAN経由で他のテレビやレコーダ、PCからコンテンツが引き出せるというのは、アウトプットの一つなのである。
あとは、世界中で日本だけこれができない、というしょっぱい状況にならないことを祈るばかりだ。
しかし、コンテンツホルダー側だけの論理で作り上げられた仕組みが、ユーザーの利益を生むことはないと個人的には信じている。音楽出版社主導で行なわれている音楽配信サービスは、果たして1曲いくらで提供されているだろうか? B-CASカードが必須のデジタルチューナは1台いくらで販売されているだろう? デジタル放送の一律コピーワンスは、不便を強いる代わりにユーザーに何らかのメリットをもたらしただろうか?
そうした自問自答を繰り返すにつれ、ブロードバンド天国、もっともブロードバンドネットワークサービスの可能性が大きな国と言われる日本は、このままではアドバンテージを生かし切れず、そのうち彼の国に追い抜かれる気がしてならない。もちろん、最悪のシナリオなど誰も望んではいないはずなのだが。
いつまでも放送が娯楽の王様として旧態然とした収支モデルにこだわるのならば、ユーザーには「テレビを見ない」という選択も有り得るということだ。今や娯楽は電波に乗ってやってくるだけではなく、電線や光ファイバーを通してもやってくる。何で楽しむか、選ぶのは自由だ。
ユーザーもコンテンツホルダーも、「買わない」という選択の次には、まだその選択があることを覚えておくべきだ。このままでは筆者もあと数年後に、『だれが「テレビ」を殺すのか』という本を上梓することになるかもしれない
特に音楽は嗜好性の高いものですから、価値観は人それぞれです。自分の中で対価のバランスが取れれば買う、そうでなければ「ふざけんな」って買わない。今のところCDの国内版新譜は、全体的に「ふざけんな」って状態になりつつある。だから輸入盤に走る構造もできあがる。
CCCDに関してはいえば、なんでやってるのかなぁと疑問に感じているヒトは多いと思います。現場レベルで言えばみんな反対している……反対はしないまでも導入する意味がないと思っている人が多いのが現状ですが、上が決めたことには従わないと……という空気はあるみたいですね。
本来デジタルって「ユーザーに便利さをもたらしてくれるもの」だったはずだし、デジタル化によっていろいろな可能性が見えてきたのに、「あれ? なんで不便になってるんだろう」っていう。デジタルによってユーザーの楽しみ方だって変わったんです。変わったのに、それは自由すぎるからダメだよと。コンテンツのコピーをコントロールできないからダメだよとか。なぜか規制する方向にしか、デジタルの技術が使われていない。
だが著作権者側(正確に言えば著作権者ではなくその権利を代行している各種団体)も、それに甘えてちょっと調子に乗りすぎたのではないだろうか。放送に絡むあらゆることを、著作権や著作隣接権で縛ろうとしているが、ここで致命的な論理破綻をきたしているのに気付いていない。すなわち、「見られなければ儲からない」という真理だ。
――つまり音楽配信においても、DRMなど必要ないのだと。
平沢氏: 必要を感じてないですね。つまり私は音楽がデジタルコンテンツ化以前と今とでは、さほど変わりはないと思っているわけですね。昔はカセットでコピーして友達同士でやりとりしていたし、オンエアされたものをエアチェックしてコピーしていたわけですよね。それがデジタルコンテンツになったところで、何を騒ぐんだということですよ。不思議に思うのは、客を泥棒扱いして、オマエが泥棒ではないということを証明するために補償金を払えと、言ってるわけですよね。これ自体私には理解できません。プロテクトや補償金の話はビジネスの問題であって、コピーするしないは倫理の問題じゃないですか。彼らは倫理を大儀にして、ビジネスしているだけなんですよ。
何度も経験してきたことだが、直接の利権者への取材で得られる内容は常に建前ばかりだ。たとえばJASRAC広報のコメントには次のようなものもあった。
「著作権に関しては、厳密に管理、徴収を行ない、公平に分配するという考え方と、管理は緩やかにして著作物の普及、売り上げ増大を促し、全体の収入を高める考え方がある。日本は前者で、1つ1つの楽曲から得られる著作権料を可能な限り公平に分配。不可能な部分、あるいはコスト的に個別調査が難しい分野だけを一括徴収とし、実績に応じて比例分配する」
ところが実態はと言えば、分配根拠の曖昧な一括徴収ばかりを追求しているのだから問題の根は深い。JASRACに作品を委託しているアーティストの中で、(少なくとも筆者が知る範囲では)配分根拠が明快に記された著作権料の配分明細を受け取った人はいないのだ。補償金対象機器の拡大は、世の中の変化に古い制度をスライドさせ、権益を守る行為でしかない。
その後、議論の場を津田さんも委員として参加している私的録音録画小委員会に移した訳ですが、権利者にあたる人や賛成派といわれる人が委員の大半を占めています。人選は問題があると思いますね。
こうした小委員会というものはまず結論ありきで、議論はアリバイ固めみたいなところがあるんですよ。前の小委員会(法制問題小委員会)には漫画家の先生(里中満智子氏)や消費者団体の方(全国地域婦人団体連絡協議会事務局長の加藤さゆり氏)がいたんですけど……。
元を正せばなんで世界でどこの国もやってないコピーワンスなんか始めちゃったのか、というところに戻ってしまうのだが、いつまでもそれを言っても仕方がない。コピーワンス導入は、あきらかに負のスパイラルを生む失策だった。むしろコンテンツがたくさん利用されればみんなハッピーなんですよ、というポジティブな図式をイメージできなければ、同じ事の繰り返しになってしまう。
EPN方式も、コピーワンスより消費者にとってメリットがある選択なのか、しっかり見ていかなければならない。
テレビは公共の財産である電波によってより多くの人に情報を伝達するために与えられた公衆の資産である。そこに情報を乗せた以上は、多くの人に情報を伝えるための道具であるVTRの存在も認めるべきである、とソニーはベータマックス訴訟時に主張をしたそうだ。
今日では必ずしも電波を用いなくても同様の伝達は可能となってきたが、テレビ局の使命は変わらないはずだ。 VTRの出現によってハリウッドは衰退したであろうか?それをビジネスに変え利益を最大化してきたはずである。そのためには受け入れるべき技術や変革は受け入れるべきなのである。
動画投稿サイトになぜあれだけの数のテレビ番組がアップロードされるのか。最初から分かり切った違法、適法の議論をするよりも、なぜテレビ番組がアップロードされ、なぜそれを多くの人が見るのかを考えるべきである。これはもはや時代や視聴者のニーズに応えられないテレビ局の怠慢の領域に達している。
今回の発表で、1つだけ残念かつ悲しいのは、日本でのサービスが現時点で不明なことだ。英EMIのリリースに出ている料金も、ドル、ユーロ、ポンドはあっても、日本の円はない。これとは別に3月30日に発表された「Complete My Album」のサービス(1曲を購入した場合、割安なアルバム料金との差額で残りの曲を入手できるサービス)も、日本は今のところ除外されてしまっている。DRMでガチガチに縛られた着うたサービス等を考えると、Appleが日本でDRMフリーの配信サービスを行なうのは難しいように思えてならない。
最近、あまり耳にしなくなったが、デジタル音楽プレーヤーに私的録音補償金を上乗せしようという論議が行なわれていたことがある。それが現在どうなっているのかは知らないが、もし補償金を要求するのであれば、音楽配信のDRMは全面解除するべきなのではないか。DRMのかかったデータは自由な私的録音 (複製)ができないのだから、補償する必要もない(少なくとも低い)ハズだと思う。補償金をとる以上は、補償の対象となる私的複製が完全な形で認められるべきだ。
デジタル放送に対する画一的なコピーワ ンス制限といい、どうして日本のユーザーはイビツな形でDRMを強要されるのか。日本のユーザーは大人しすぎるのかもしれない。
インディーズが台頭するようになり、音楽配信といった新しい音楽販売チャンネルが登場した現在においても、音楽業界の頂点にはいまだメジャーレコード会社が君臨している。そんな音楽業界のこの10年を筆者個人が総括すれば、「止まらないCD不況の原因をユーザーのコピーに責任転嫁し、コンテンツホルダー・アーティストとエンドユーザーに本来は存在しなかったはずの大きな溝を作ってしまった」ということになる。
音楽業界の「現場」で働いていた人は、多かれ少なかれ誰もCCCDの導入やDRMの強化が「良いこと」だとは思っていなかった(ユーザーの違法コピーのせいで音楽業界が不況になり、CCCDを導入すれば売り上げが回復するなんてことを「本気で」信じていたような愚かな人は、恐らく真っ先にリストラの対象にされ、今はレコード会社から去っているはずだ)。ここにこの問題の根深さがある。
放送番組にコピーガードをかけるなんてことを始めたら、使い勝手が悪くなり、機器が売れなくなり、新たな問題を引き起こしたりするでしょう。常識的に考えればすぐに分かることなのに、放送業界というのは新しいものを拒絶し、一切封じ込めることに異様な熱意を燃やしてきたんです。
著作権の保護と言いますが、注意深く見てください。著作権を守れって声高に叫んでいるのは著作者やクリエーターではなく、真ん中に入って仲介している人たちですよ。現場のクリエーターたちが「コピーワンスでなければ困ります」なんて言っているのを、僕はあまり聞いたことがない。
僕はいつも言っているんだけど、著作権って“著作者”の問題じゃないんです。クリエーターたちが作り出したものを売って儲けている人たち、つまり、放送局や映画会社、出版社などにとっての利害の問題なんです。ずばり言ってしまえば、「著作権」という言葉を隠れみのにして、販売業者の独占的利潤を守ろうとしているわけです。
文化庁著作権課に依る一方的な行政運営には理解不能である。徒に著作権者団体の意見のみを汲取り消費者、機器メーカーの立場は無視し続けている。アップル社を私的録音録画小委員会から閉め出し、欠席裁判で物事も決める閉鎖的な体質を持つ文化庁の典型的な隠蔽体質を良く表している。 平成19 年3 月27 日、文化審議会 著作権分科会私的録音録画小委員会にても多くの小委員会委員が補償金制度の必要性の根幹の議論提示をしたにも関わらず、作為的に「私的録音録画問題に関する検討の進め方(案)」から削除するなど鼻から「結論ありき」の審議会運営をする著作権事務局には真摯な姿勢は微塵も感じられず、もはや公平公正な著作権行政を運営する適切な省庁とは言い難く、速やかに著作権行政を他の省庁に移管することを強く望む。
レコード会社はCCCDで大失敗した。CDの売り上げが伸びないのをデジタルコピーのせいにして、客を泥棒扱いした。このときに消費者に産まれた敵対感情は、レコード会社に正しく向けばいいのだが、多くはアーティストに向けられることになった。アイツはケチくさい、二度と買うもんか、というルーチンを産む。このレコード会社のCDを買わないというのは面倒だが、このアーティストは買わないという方法はわかりやすいからである。
今音楽業界は、DRMフリーへの転換を図ろうとしている。昔の平和だった状態に戻したいのだ。映像業界も、セルコンテンツはカジュアルコピーができない程度に、コピーコントロールが上手く働いていた。だがテレビのコンテンツは、私的利用の範疇においては最初からコピーフリーだったという事実は、変えられない。コピーフリーではなくコピー可能回数を増やすだけで、本当に元の状態に戻るだろうか。
結局のところ何が言いたいかというと、「琵琶湖で金魚すくいをするにはどうすればいいか、ちゃんと考えたか?」という話なのである。
網を広げて一生懸命金魚を1カ所に囲い込もうとしても、広大な空間の上から下から隙間から、必ず金魚は逃げ出してしまう。それよりも、金魚の方から勝手に集まってくるような手段を考えなければならないのだ。
権利者は、考えに考えてJEITA攻撃のミサイル発射ボタンを押したつもりかもしれないが、客観的に見ると一番派手な自爆ボタンを「ポチッとナ」してしまったのではないか?
地上アナログ放送の廃止やデジタル放送のコピーワンスなど、放送業界の動きを見ていると、我々利用者の声は届きづらいと痛感している。結局、ここ数年でデジタル対応のレコーダーを買った人は筆者を含め、悔しい思いをするのではないだろうか。それが一番の心配だ。
ただ、麻倉氏は「これではハイビジョン映像を愛するユーザーとして納得できない」と“7つの問題点”を指摘する。
1)録画したディスクからコピーができない(孫コピーができない)
2)録画したディスクが編集できない
3)まずHDDへ録画しないと意味がない。将来のダビングのためHDD容量が圧迫される
4)既存のHDDレコーダーではコピーワンスのまま
5)長時間の番組を分割してコピーすると毎回カウントされてしまう
6)実質的にレコーダーへプレイリスト機能が必要となる
7)機種やメディアごとの対応が統一されていないので混乱を招く
「コピー10が運用されても、極論すればコピーワンスのディスクが10枚できるだけ。ガッカリ感も10倍ですよ」
――放送を大きな枠組みで捉えると、音楽ってあくまで放送番組の「BGM」を構成する一要件でしかないわけじゃないですか。で、さらにいえば実演家というのは、CD音源をかけることが多い放送の枠組みでとらえたら音楽の中でもさらに「傍流」になりますよね。だから、椎名さんがコピーワンス導入で「全然話聞いてねーよ」ってのはある意味当然のことだったと。
小寺氏: いや、そんなレベルの話じゃないですよ。消費者や、学識経験者とかそういう人にも意見を聞かず、完全に放送業界と家電業界だけで物事が決まってしまった。そもそも国民全員に関わるような大問題を、一部の人間の思惑で決めてしまったことにこの問題の本質があるんです。
――ありえないですね。だって、放送業界って公共性が高いという前提があるから、「放送法」という非常に強力な法律で自分たちの権益守ってもらってるわけでしょ。ある意味これだけ公共性の高い問題を密室で決めちゃったんですね。そりゃすげーや(笑)
小寺氏: これ、後で調べたから分かったことで、当時は何でそうなったのかって報道発表はなかったんです。あくまで「こう決めたのでよろしくね」みたいな発表が民放連とNHKからあっただけ。だから当時は誰も疑問に思わなかったんですよ。で、その後「地上波でもB -CASカードを入れなきゃならない」みたいなことが決まったときに初めて問題が表面化したという。
たぶんダビング10後に現われる世界は、誰も潰れないが儲かりもしない「そこそこ」の世界ではないかと思われる。
コピーワンスよりはマシだと、そこそこ各メーカーのレコーダーも売れるようになるだろう。権利者は世代継承を止めることで、人気コンテンツだけでそこそこやっていけるだろう。放送事業者は、セルDVDは売れないがワンセグなんかでそこそこリアルタイムで見られることになるだろう。消費者は録画はするが見ることもなく、テレビ以外の楽しみを見つけてそこそこ楽しくやっていくだろう。
コピーワンス緩和は、すでに斜陽にさしかかっている放送事業を立て直す、起死回生のチャンスだった。しかし規制緩和に何が求められているかを見誤った。
個人的には、インフラとコンテンツの両方を押さえている放送事業者が弱体化することは、もしかしたら日本の将来にとって、望ましいことかもしれないと思い始めている。日本ではネット系の映像配信サービスが立ち上がっては消えてゆき、なかなか定着しないが、これが放送事業者の影響力が強大すぎるせいだとすれば、世界の趨勢と合わなくなってくる。
売り言葉に買い言葉的に決まってしまったダビング10だが、それで日本の形が変わってしまうところまで想像できていただろうか。世界に歩調を合わせるべきは、文化でも著作権保護期間でもなく、利便性の高いコンテンツ流通システムの形だったのに。
B-CASカードまで含めて、放送のDRM導入はそもそも経緯が不透明であった。だからこれを機会に、アナログ放送時代と同じスタートラインに戻って、いったん全部のDRMをちゃらにしたところから始めるべきであった。すべては手遅れになるのだろうか。
また、著作権法の複製権・公衆送信権の問題から検索サーバを日本に置けないなどの理由で、日本のサービスのサーバですら米国に一極集中しているという点にも言及。日本では、ネットを活用した革新的なサービスが著作権法に触れ、訴えられて停止に追い込まれるという例も多くある。「日本の著作権法は、萎縮効果を生んでいる」
また、マザーボードを交換したら見られなくなるという仕様がPC自作層にとってどれほど無価値なものか、まるで理解されていないとしか思えない。今度のボーナスでCPUとマザーを交換しよう、そう考えている自作ユーザーはごまんといる。録画した映像のバックアップを取ることすらできない“新しい時代のスタンダード”を見ると、「カサはカサ立てに置いてください、盗難については責任を持ちません」と書かれている飲食店のようないらだちを覚える。
もし今回の規制緩和が海外発の無反応機に危機感を抱いた結果だとするなら、少なくとも「これはできないけれど、まあいいか」とユーザーが思えるだけのレベルまでは緩和しなくては意味がないはずだ。「自作で地デジが解禁しました」と聞けば期待がふくらむが、正直なところこれならHDDレコーダーでいいんじゃないか、と思ってしまう。特にHDCP対応のグラフィックスカードとディスプレイもいっしょに買いそろえなければならないユーザーからすれば、すなおにHDDレコーダーを買うほうが予算的にも満足度は高いかもしれない。
(中略)
とにかく不正の恐れがあれば全部禁止という、すべてのユーザーを犯罪者予備軍扱いする現在の方針は、大多数を占める善意のユーザーの利便を大きく損なうという点でも到底納得できるものではない。それよりもむしろ、IDなどを埋め込むなどして、不正使用したときの流出元を確実に押さえられるようにしておくような方向で進めるべきではないだろうか。Dpaの正式名称は社団法人デジタル放送推進協会だが、「推進」という文字がこれほどそらぞらしく感じる団体もそうはない。
結局のところ、現時点で単体の地デジチューナーカードが意味するのは、ダブル録画や編集もできない「廉価版のハイビジョン対応HDDレコーダーキット」程度のものだろう。もちろん、最初からそういった製品を求めているのであれば、2万円前後の価格は決して高くはないし、そもそも今回登場した第1 世代の製品でも、地デジ対応のメーカー製PCと同等のことは実現できている。自作スピリッツとはやや離れた第1世代の製品ではあるが、それでもこの“暗黒時代”においては、希望の光と言えるのかもしれない。